世界のかたちを知りたい

これはブログではないかもしれない。人生で見聞きしたことを整理する。疑問に思ったことを調べたり、あとになって分かったりしたことを整理する。もし人間が必ず死ぬなら、自分もこの世界から消える時が必ずくるけど、このときまでに「この世界がどういうものだったか」を理解しておきたい。

(書きかけ)整理

<NHKスペシャル 一帯一路>

中国:人口14億人

一人当たりGDPは低いものの、人口の多さからGDP世界2位。もうすぐ1位に。

 

人口構成は既に生産年齢人口は減少へ。→景気減速しつつある。

→余剰労働力が5000万人発生している。

→一帯一路戦略で余剰労働力を西へ送りつつ、中国の影響力をヨーロッパへ広げていく。

カザフスタンポーランドやドイツへの大量資本投資。(GDP世界2位のため資本はある)

カザフスタン:

・国土の8割が耕作地。→中国の増加し続ける中間層への食糧確保。(中国企業による大量買い付け)、

・油田への出資→中国のエネルギーは65%が海上輸送に依っているが、それだと国際情勢に影響を受けるので陸路での確保を目指す。既に1/4以上の権益を獲得。

中国企業の進出により、カザフスタン国民による反中国企業デモが発生。国が資本により食われると。⇄カザフスタン地方政府としては地方経済の活性化のため、大量買い付けを行う中国企業を利用したい。

 

ポーランド、ドイツへ至る大陸横断鉄道→海上輸送の1/3の時間、航空輸送の1/5の価格での輸送を実現。

ポーランドの「中国商城」→中国製品が大量に集められている。ヨーロッパのバイヤーが爆買い。価格が市場価格の1/10だから。→中国製品のヨーロッパへの普及に貢献。

◯ドイツ製品の中国企業による爆買い。ドイツ製品は中国で信頼が厚く、増加する中間層からの需要が大きい。

→ドイツでは中国企業によるドイツ企業の買収が問題に。基幹技術を持つ企業も買われた。→ドイツ、EUでは企業買収を制限。技術流出を防ぐ。(中国企業は政府との繋がりが強いので、純粋な投資以外の利用を警戒)

 

…日本企業の規模とは比較にならない規模の需要や供給が発生して取引が成立している。固定的で小さく狭い世界でコソコソやることの生産性の低さ。ビジネスチャンスはどんどん生まれている。モノにできるものもあれば、出来ないものもある。誰だって。

 

・・・大きな流れを考えると、みな「誰かに背中を押されて」動いている。であるならば、ある程度大きな方向性の予測は可能なのでは?

 

 

 

(書きかけ)日本の衰退

★ブログタイトルからは外れるけど、心惹かれる話題なので検討してみる。

 

日本の現在の経済的な繁栄の根拠は人口にあるという。(ニューズウィーク2017.8.15号)要するに、日本が戦後高度経済成長を達成してそのまま世界第2位の経済大国として長くいることができたのは、先進国でも断トツの人口増加率と増加した後の人口規模によるところが主因の一つであると。(2016年の国民一人当たりのGDPは世界22位。アメリカは8位で日本の1.47倍、中国は73位で日本の0.21倍、ただし香港は16位で日本の1.12倍)

→ これから日本の人口が減ると、GDPが目減りし、「先進国」から陥落することが確定的だ、と。

そうなると現在のようにアジアの中での特別待遇などはなくなり、他の国も尊重してくれなくなり、中国・アメリカ・インドから「空気」のような感じで扱われる時代がくるのかもしれない。

 

日本は人口減少だけど、世界的に見れば人口は増えているはず(人口爆発)。

近い将来、人口に対する資源が不足して食糧危機が起こるだとか水不足になるだとかいう話もきく。

一方では人がいなくなるからやばいとか言っていて、もう一方では人が増えすぎてまずいから抑制しないととかいう話をしているのはなんでだろう。

 

・都市の形成

 ・都市が形成する過程

 ・都市の条件(Wikipedia。これを満たせば、生活できる=そこに需要が発生する)

  ・政治・行政機能

  ・商業機能

  ・交通・通信機能

  ・教育・文化・娯楽機能

  ・医療・福祉機能

・統合リゾート

 ・統合リゾートの概要

 ・統合リゾートのビジネスモデル

  ・カジノが収益の80%を稼ぎ出すらしい。面積でみればほとんどないのに。→カジノで稼ぐから、その他の施設はコストをかけて集客をしさえすれば良い。まず人を集めて、それから一部の富裕層からがっつり取る。広く薄くではない。→フリーミアムべき乗則の理解に叶うモデルに見える。

人口爆発

 ・概要

 ・人数が多い=経済の発生

少子高齢化
・空き家率、ショッピングモールの閉店・廃墟化、過疎化

 ・「店舗」型だと、人が集まらなければしょうがない。人が集まるからこそ需要が生まれ、採算が成り立つ。

 →そこに人がいなければならない。

 →でも供給(都市の機能:衣食住の調達、病院など)が不便であればそこで生活する人は増えない。供給が不便=働き手が必要でない(働く場所が少ない)→そこに生活の拠点をおいても収入を得ることが難しい人が出てくる→より多くの収入(あるいは供給が十分な住環境)を求めて移住する→需要が減少する→供給がより不要になる。

  …なんかループしているような気がする。でも、人が増えて経済が増えるときはこの逆のループになってるはず。逆のループになるきっかけはどういうものだったんだろう?まず未発達の港とか藩とか村とかがそこにあったはずで、それらが「都市」になっていった足跡を追えば逆ループのきっかけが見えるかもしれない。

 ・現在はオンラインショッピング+配送が増えているらしい。特に僻地では(?)

・自然への影響(公害の歴史)

 ・人が多すぎたから?技術が未熟だったから?

 ・自然環境に惹かれる。(自分は東京都心の生活無理)

 

 

 

(書きかけ)会社の仕組み

日本の大人の大半が会社に属している。

(公務員はどういうルールなんだろう?)

 

会社:目的団体。事業(定款で規定)のために存在する。

社会にある衣食住は、会社の事業によって調達、生産、配送され、社会の一員である私たちはそれを消費できる。

 

衣:ユニクロ(ファーストリテイリング社)、H&M、イオンなどのショッピングモール等

 

食:山崎製パン、米、農家、ファミリーレストラン、高級レストラン

 

住:不動産会社、建築会社、アパート

 

公務員:全体の奉仕者

公務→市場原理に任せていたらカバーされないが、社会生活にとっては必要な事業を行う。

事業に必要なお金は税金によって国民から徴収する。(いつ出来た仕組み?)

 

会社や公共団体が営む事業:

資本主義の面からの整理→何らかの供給をもってお金を稼ぐこと

例えば衣服を製造・販売する会社の場合、

①生地を買う

②生地を工場まで運ぶ

③製造する衣服をデザイン設計する

④設計書に沿って生地から衣服を製造する

⑤衣服を工場から販売店へ運ぶ

⑥販売店で衣服を販売する

という流れを持っているはず。

この流れを実行するには、

①生地を買う人、生地の製造会社

②生地の生産地から工場まで運ぶ人

③衣服をデザイン設計する人

④製造する人

⑤工場から販売店まで運ぶ人

⑥販売店でお客さんに売る人

が必要になる。

そして、それぞれの会社ごとに、人を雇って実行するか、他の会社を使って実行するか(例えば②と⑤でDHLやヤマトホールディングスなどの流通・運送の会社にやってもらう)、機械を導入して実行するか(例えば④で)などを決めて事業を遂行している。

この流れの他に、事業が動くには社長(意思決定をする人、最終責任者)やら会社内のルールを整理したり行政手続きをしたりする総務やら流れのそれぞれで動いたお金を記録整理する経理やらが必要になる。

お金に着目すると、会社は⑥で販売して得た衣服の代金で①〜⑤の雇用者への給与支払い、他の会社への支払い、機械代金の支払いを行う必要がある。

⑥で得たお金 マイナス ①〜⑤の支払い イコール 会社の利益 (→営利企業)

 

 

 

(書きかけ)なぜ働かないといけないのか?

「好きなことを仕事にしているか?」という問いがある。これは、仕事をしていてもその業務を好きでやっているわけではない可能性があるということ。

 

なぜ勉強しないといけないか?のところでゴールのひとつが「大企業への就職可能性」としたけど、会社組織に入って何らかの業務をやらないといけないのはなぜ?なんで自分の時間を自由に生きられないんだろうか。

 

「強制させる仕組み」という点では、「お金を得るため」が最もうまく説明していると思う。お金を得て、そのお金で衣食住を賄うことで生活を維持していく。

→これが資本主義?じゃあ共産主義の世界は?

 

資本主義の前はどういう世界だったのだろうか?…イメージ的には生活物資が限られていてやはり働かないと死ぬ(働いても死ぬ時は死ぬ)状態だったような気がする。→調べる。特に、生きるための資源が溢れているなかで、なぜ未だに強制的に働かないといけないのだろうか?(その溢れている生活物資は働く人によって生産されているという側面を忘れない)

 

産まれる→幼稚園→小→中→高→大→会社(結婚、出産、子育て、介護)だとしたら、自分の時間を生きられるのはかなり制限されている気がする。

(その代わりに私たちは何を得ているのか?)

 

 

 

(書きかけ)なぜ勉強をしないといけないのか?

大嫌いだった勉強。自分もこれを思ったし、他の人も思ってるみたいなので、悩みとしての普遍性はあるのかと。

 

なぜ誰しもが「なぜ勉強しないといけないのか」を考えるのに、学生時代は勉強しないといけないのだろうか?(なぜ強制されるのか?)

<学校教育:法の定めにより義務教育を、また高校・大学は環境が許せば行くべきという価値観が支配的> 

①法律の要請により、数え年7歳になると小学校に入学する。(自治体は住民票で子供の存在を確認でき、各家庭に案内をだす。公立校の学区は住民票によって決まる)

②小学校6年間、中学校3年間。カリキュラムは指導要領で決まる?

③高校は3年間。義務教育ではない。が、進学率はXX%

④大学は4年間。義務教育ではない。法律上の位置付けはXX。進学率はXX。

 

<教育内容>

・カリキュラムは指導要領?で決まる?←見直しは?

・学生時代に学習した科目で受験が行われる→テストの点数による順位付け→「高学歴」の大学(、高校、中学)

 

・高学歴→「良い会社」(=大企業で安定かつ高収入が見込まれる)への就職可能性が高まる(?少なくとも期待)

…学歴そのもので序列をつけている向きもあるみたいだけど、その序列のために時間を費やしているのかと言われると違和感がある。学習した知識そのものに価値がある、というのもある気がするけど、テレビやら人の話やらを聞いてると、やっぱり「良い会社」に勤めることが主たる目標として合意されているように感じる。(東大卒なのに何で、という言い方)

 

・高学歴について、中学高校が大学ほど騒がれないのは、大学が社会人になるまでの「最終」学歴であることが大きい?…大学が「高学歴」であることが特に重要ということ?

 

・なぜ国、英、数、理、社の5教科なのか?(重要な科目であることは理解できるけど、他にも大事な分野があるのになんでこの括り?大学もなぜこの教科で入学可否を決めるのか?)

→確か5教科は明治時代に決まったんだっけか?どこで読んだんだっけ。。

 

現代社会で生きるために必要な知識、現代社会を理解するために必要な知識

 

・学校制度はいつから?

 

・この「勉強しなければならない」のはいつから?少なくとも寺子屋の時代は義務教育などなかったはず。実はごく最近のこと?

 

「安定高収入(の期待)」を獲得するには「高学歴」の必要があり、「高学歴」のためには沢山の時間を費やして5教科(の高校レベルの知識)のスペシャリストになる必要がある。

センター試験(なくなるらしいけど)では「いかに他の人よりミスをしないか」の勝負になる→反復練習を繰り返す。

⇒人生の時間の使い方を縛られる現象のうちの1つのルート

 

高学歴に興味がない人も、ある程度日中の時間は強制的に学習に費やされている。

 

「なぜ勉強しなければいけないのか?」には二つの側面がある。

1.なぜ自分の時間を奪われなければならないのか?

2.勉強することにどんな意味があるのだろうか?

 

1.→おそらく学校制度が日本の社会システムに組み込まれていることが大きな要因。最近はフリースクールとかそこそこ選択肢もあるみたいだけど、やはりメインストリームは小→中→高(→大)のコンボ。

 

2.→何を調べれば分かるんだこれ?

 

大学の仕組み

論文というシステムの確立について(ドストエフスキー罪と罰」でも言及があるので、その頃には一般化されていたようだ)